「観る者に作品が持つ時間を纏わせる」鑑賞体験へのいざない—中山夏希が絵画と映画を往還する理由
- 6月21日
- 読了時間: 7分
更新日:6月21日

人間の裡にひそむ欲動や揺らぎに、いかにかたちを与えられるのか―アーティスト・中山夏希(以下、中山)は絵画と映画というふたつのメディアを行き来しながら、その問いに向き合い続けている。
東京藝術大学在学中より油画と並行して映画制作に取り組み、学部卒業制作では短編映画『裏切り』を発表。成績優秀者に贈られるO氏記念賞を受賞するなど早くから注目を集めてきた。
TOKYO INTERNATIONAL GALLERYで開催されている個展「河床より来訪者へ」では、静的な絵画と、映画を同一空間に配するという実験的な試みが行われている。その背景や制作に込めた思いを聞いた。
映画『Violation』あらすじ
既婚者である理恵は夫を愛していたが、夫から愛を感じることはなかった。愛があるゆえの背徳感に幸福をもとめてさまざまな男と浮気を重ねる理恵。しかし、満たされることは無い。
やがて別の男の子供を身籠った理恵は、夫に嘘をつき「あなたの子だ」と告げる。子供ができた途端、理恵に対して優しくなる夫。しかし、その優しさは妻に対しての愛では無くただの体、または子供へ向けての対応だった。別の人との子供を産み、ようやく夫から愛されるような求め方をされ、究極の背徳感であるオーガズムを得る理恵。瞬間的に幸せを感じるが___。
鑑賞者に時間を感じさせるような作品を目指して—タル・ベーラ『サタンタンゴ』がもたらした原体験

「河床から来訪者へ」会場風景—。会場に一歩足を踏み入れると、外界から切り離されたかのような静謐さに思わず息を呑む。わずか数点の絵画ながら、その一つひとつがマーク・ロスコの影響をうかがわせる濃密な情感を纏い、来訪者を迎え入れる
━本展覧会の特徴でもある、映画と絵画を往還した作品作りの背景を教えてください。
さまざまなメディアを試してきた中でも、「時間を表現したい」というのが一貫した軸でした。映画も高校生の時から好きでしたが、自分には作れないかな、と思っていたんです。
でも、アンドレイ・タルコフスキーやタル・ベーラの作品に触れる中で、映画のお作法にはまらず現代アートのような形で圧倒的に表現する映画もあって良いんだなということに気が付いたんです。
━その中で、特に衝撃を受けたのはタル・ベーラの『サタンタンゴ』(1994)だったそうですね。
『サタンタンゴ』は7時間と長い作品ではありますが『あ、時間って本当に表現できるんだ』と、すごく腑に落ちた感覚があったんですね。
7時間の長尺かつ白黒で…となると精神的にも体力的にも辛いんですけど、ある意味苦行のような時間を抜けた瞬間はすごく爽快感がある。
不思議とあの白黒の世界観や農場の匂い、土を踏んだ感覚とかが自分の中に深く染み付いているんです。時間を纏い、体感するとはこういうことなんだと思いました。
その原体験があるので、時間を鑑賞者に与えられるメディアとしては映画が一番いいんじゃないかと考えて映画を制作しています。

━今回の映画のタイトル『Violation 』は、タブーや禁忌という意味合いを持つ言葉で、バタイユの用語から採用しているそうですね。物語の中心にいるのは「理恵」という女性で、彼女は夫がありながら、満たされないまま複数の男性と関係を持つという禁忌を犯します。
理恵も夫を愛していないわけではなく、毎日食事を作って家事を一手に担い、夫を大切にしているけれども抑圧を感じている。
今の社会では女性が働いて成功していく一方で、専業主婦という立場も依然として存在していますよね。何年も何十年も休みなく家族の健康管理を担う...というのも、働くことと同じぐらい素晴らしい営みだと思っています。そのような立場の女性の静かな抑圧というものを描きたいというのもひとつのテーマでした。
抑圧を表現するという観点では、鏡も重要なモチーフのひとつですね。鏡は閉じ込められている状態の象徴として使っています。ラストシーン、理恵は幸せそうに見えても抑圧から抜け出せていないんです。
━今回、あえて裕福な夫婦を登場人物にした理由についても教えてください。
良い日本映画では、お金がないゆえの苦悩が描かれることが多い反面、富裕層の苦悩は描かれていないことが多い。お金と時間があるけれど、逆に葛藤や悩みが浮かび上がる。働かなくても良いがゆえに、その繰り返しで哲学的な思考に入っていくんですね。実際、今までの歴史を見ても有閑層に属していた哲学者は多いので、そこは意識していました。
富裕層の夫婦を描くのがテーマのひとつではあったので、例えばスーパーではなくて高島屋のような百貨店で買い物をするような演出にしました。お酒ひとつ取っても、酎ハイではなくてワインを飲んでいる、という設定にしています。

━撮影面についても教えてください。今回の作品は、主人公の理恵を常に中心に捉え続けるように構図が組まれています。ほぼ全編を通して固定カメラで撮影した狙いについて教えてください。
観客に感情移入させるのではなく、客観的な視点から見るような効果は狙っていました。シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975)、ミヒャエル・ハネケのデビュー作『セブンス・コンチネント』(1989)などは静的かつカットを積み重ねている作品で、かなり参考にしています。
あとは、ブレッソンなどの初期作品もかなり研究していて、どういう切り取り方が静的で重なる撮影になるのかを考えました。
ハリウッド映画で時間を忘れるぐらい面白いものもありますよね。逆に、私の映画では「退屈だな」と思ってもらうことが狙い。今回展示している作品はジャンプカットで繋いで2時間弱ですけど、本当はノーカットで3時間半ほどあるんです。定点で捉えられた主人公を見つめ続けることで、鑑賞者にも同じように時間が流れだす…という効果を狙っていました。
「純粋・切実・逸脱」━制作への思いと今後への展望

━ファストな作品が人口に膾炙する現代においては、長い時間軸の中で鑑賞者に時間を体感させることは容易ではありません。また、今回の映画は安易に万人に迎合することを是としない作品だと感じました。中山さんが制作の上で大切にしている観点について教えてください。
日本の誰とも被らないような突出した作品を作りたいですね。「純粋・切実・逸脱」という言葉を大学の教授にいただいてから、それは大切にしています。
自分が純粋であること・それに対して自分が切実であること・それを表に出して周囲から逸脱することでアート作品が産まれる...。この言葉を守ってこの6、7年間は制作を続けてきました。
この中では「逸脱」することが一番難しいと思います。言い換えると、一般的な倫理観を一旦宙吊りにすることに近いかもしれません。まずは自分の内側から湧き上がるものに従うことを大切にしていて、その過程で不倫や殺人を扱うこともあるかもしれません。そして、時には非常に残虐な殺し方になる可能性もありますが、それは表現するうえで必要不可欠な要素だと思っていて、決して表面的にエロティックなものやグロテスクなものを見せたいわけではないんです。
━最後に、今後の展望についても教えてください。
表面的な物語は変わっても、コンセプトや「なぜ映画や絵画で表現するのか」という理由はずっと変わらずにあるだろうと思っています。静的なメディアとしての絵画は、自分にとって一番近い存在として、これからもあり続けるだろうな、と。
私はいつも映画の主人公を作るとき、女性が主人公であることが多いんですけど、必ず何かしら信仰を持っている女性というかたちにするんですよね。ただフラフラしているだけではなく、自分が信じているものに真剣に向き合っている。けれど、その真摯さや一般的な倫理から次第に乖離してしまい、自分を失っていく物語を書くことが多いんです。ふわっとした映画に着地しないように、主人公に苦難を与えることで観客が共感したり、あるいはその主人公の傷によって逆に癒やされたりするような作品にしたい。
10人いて1人か2人ぐらいが「これは自分にとってとても面白かった、共感できた」と思ってくれたらいい。広く浅く刺さるよりも、一部の観客に深く寄り添える作品を作りたいですね。

映画と絵画、2つのメディアを行き来することで生まれる時間の感覚や、形而上的な世界へのまなざしこそが、中山夏希の作品を唯一無二のものへと導いているのだろう。今後どのような作品が生み出されるのか、引き続き注目したい。
中山夏希 「河床より来訪者へ」
スケジュール:2025年5月17日(土)〜2025年6月28日(土)
時間:12:00 〜 18:00
休館日:月曜日、火曜日(水曜日は事前予約制)
入場料:無料
会場:TOKYO INTERNATIONAL GALLERY
住所:〒140-0002 東京都品川区東品川 1-32-8 TERRADA Art Complex II 3F
Interview/Writing:Mizuki Takeuchi
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